特別企画「みちのくの自然と歴史をたずねて」Vol.1

○日 程:2017年9月14日(木)~15日(金)
○行 先:仙台・作並~山形・山寺
○宿泊先:作並温泉 鷹泉閣 岩松旅館
○参加者:13名
     磯貝達男、上泉義朗、川島芳子、小林篤、杉本恭子、
     田伏純子、塚本重美、野田進、早川明、藤江賢治、
     三田富貴子、峯川文江、山田和美


Photo by Y.Kamiizumi


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Photo by S.Noda

日程と行動

〇9月14日(木)

10:00 東京発やまびこ133号
12:04 仙台着
12:25 「利休」東口本店にて牛たん定食
14:04 仙台発JR仙山線
14:36 作並着(旅館のバスにて旅館経由でニッカへ)
15:00 ニッカウヰスキー宮城峡蒸留所着(15:30からの見学ツアー、試飲)
16:40 ニッカウヰスキー宮城峡蒸留所発
17:00 鷹泉閣 岩松旅館着
18:30 夕食

 東京駅集合時間は9時30分から50分だったが、一番早い三田さんは9時05分ごろには到着。その後も皆早めに集まった。遠足に行く気分で皆早起きだったのだろう。予定通り東京駅出発。
 早速それぞれビール等を買い込んで、談笑開始。座席ごとに話ははずみ、あっという間に仙台着。降り際に、年配の乗客から「うるさいですね」と言われた。確かに静かな車内ではなかったが、それほど迷惑な騒がしさでもなかったと思っているがどうだったか?
 仙台駅東口側に出て、まずは定番の牛タンの昼食のため、駅から10分歩いて「利休」東口本店へ。幹事野田さんの推奨の店で、実においしかった。麦飯、とろろ、牛テールスープもよかった。ここでも軽くビールでにぎやかな食事。
 なぜか大相撲の話題から、川島さんからの説明付きでふんどしの話に行った。さらに腰巻の話題へ。主なふんどしは、六尺褌(ふんどし)と越中褌。六尺褌:長さ約180cm?300cm程度、幅約16cm?34cm程度のさらしの布を用いた日本人男性用の下着。臀部が露出していることに特徴がある。現在では、下着に用いられるよりも、主に、祭事や水着などで使用されることが多い。元は六尺の長さ、約228cmだったためこの名前が付いた。越中褌:長さ100cm程度(3尺)、幅34cm程度(1尺)の布の端を筒に縫い、その筒に紐を通した下着である。一部ではクラシックパンツ、サムライパンツとも呼ばれている。ふんどしの種類はこれ以外にもたくさんあるようです。次のとおりです。
 畚(もっこ)褌、割褌、黒猫褌、廻し、締め込み、晒一反、九尺褌、サイジ、下がり、半タコ、六越褌さらに腰巻について、女性が和装するとき、下着として腰から脚にかけて、じかに肌にまとう布。湯文字ゆもじ、おこし、とも言う。腰巻用の布を売っていたという三田さんによると、長さ130cmに切って売っていたようです。店の看板娘として。
 昼食を終えて、仙台駅に戻り、今晩のおつまみ類の買い物等をして、14:04仙台発の仙山線山形行で作並へ。作並駅ではきょう宿泊の旅館のバスが迎えに来ていて、一度旅館へ。荷物を預けた後、バスでニッカウヰスキー宮城峡蒸留所へ。
 展示場ではいろいろなウィスキーの香りが楽しめた。保管用の樽作りの重要性が説明されていた。約50分の工場内見学ツアーに参加。NHK朝ドラ「マッサン」の撮影に使われてというポットスチル(蒸留器)が展示されていた。見学ツアー最後は試飲。「竹鶴」「スーパーニッカ」「アップルワイン」の3種類を少しずつではあるが、無料で試飲できた。これもおいしかった。香りを楽しむウィスキーもいいと思った。
 本日の予定を終え、旅館に午後5時着。温泉にゆっくりつかった。男子はまず、大浴場へ。その後露天の岩風呂へ。広瀬川沿いにある露天風呂で、川には魚が泳いでいるのが見える。紅葉の季節はさぞかし美しい光景だろうと予想した。ここは混浴となっているが、女性専用の時間(19:30~21:00、朝5:30~7:00まで)が設定されていて、それ以外の時間は男性しか入っていないようだ。当然である。
 作並温泉は、古くから仙台の奥座敷と称されている。仙台市と山形市を結ぶ国道48号線(関山街道)に位置し、その由来は歴代仙台藩主のかくし湯と伝えられる。
 寛政八年(1796年)の開湯以来、さまざまな文化人を始め多くの人々が訪れ今なお愛され続けられている。肌にやさしい泉質と豊富なお湯から「美女づくりの湯」とも言われており、露天風呂や岩風呂、立ち湯など各旅館の多彩な湯めぐりが楽しめる。訪れた主な文化人は次のとおり。
 明治の俳人・歌人である正岡子規は、仙台や塩竈、松島観光の後、岩松旅館に投宿した旅行記「はて知らずの記」を残している。また荒城の月の作詞で有名な仙台生まれの詩人・土井晩翠 も、作並温泉をこよなく愛したひとり。さらには画家・岡本太郎の父で漫画家の岡本一平、吉田茂の側近・白洲次郎など。
 また今回宿泊の鷹泉閣岩松旅館は作並温泉一番の老舗であり、鎌倉時代、源頼朝が藤原氏討伐の際に、傷ついた鷹が温泉につかり元気に飛び立つ姿を見て温泉を確かめたとされている。この故事により旅館の屋号「鷹泉閣」の名が生まれた。
 6時半から旅館内レストランでバイキング形式の夕食。ここでは軽くビール。部屋に戻って、8時半ごろから男子部屋に全員が集まって2次会。ここからが本格的な飲み会。
 幹事野田さんが、バッグに入れて持って来てくれた3リットルのワイン、途中買ったビール、ニッカで買ったシングルモルトと十分な飲み物。つまみ類もたくさん。話題も盛りだくさん。いつものように、話ははずみ、大笑いし、時間はすぐに過ぎて11時ごろ終了。
 次の行動は外に出て星を観ようということになり、近くの神社(湯神神社)境内に行った。最近はなかなか見ることができない星が、まさに降るように感動的なものであった。ここでは、星の説明を川島さんと一高時代天文部だった早川さんからしていただいた。
 部屋に戻って本日の活動はすべて終了。無事、安全に1日目を終えることができた。

〇9月15日(金)

7:10 ウォーキングスタート
8:00 朝食
9:20 旅館出発
9:48 作並発
10:07 山寺着
10:17 山寺発
11:00 山寺奥の院着
11:10 山寺奥の院発
11:50 「焔蔵」にて山形蕎麦板そば
12:40 芭蕉記念館
13:15 山寺発JR仙山線
14:12 東照宮着(東照宮参拝)
14:49 東照宮発
14:54 仙台着(仙台市街散策、おみやげ等)
16:44 仙台発やまびこ150号
18:48 東京着

 朝はウォーキングの部。7時ロビー集合。肌寒い陽気ではあったが、歩くとすぐに暖まる。ちょうど7時に、緊急アラートがスマフォに入り、またも北朝鮮がミサイル発射。宮城県も警戒地域であった。
 30分ほどのウォーキングの締めはラジオ体操。三田さんによるNHK朝のラジオ体操アナウンサーよろしく、中継をしながらの楽しい体操であった。後で写真を見た所、一部日本舞踊なみの体操をしている人もいた。
 8時過ぎに朝食、9時20分にホテルを出発、作並駅へ。ミサイル発射の影響で電車は約10分の遅れ。山形行きに乗車し、山寺で下車。
 1,015段の階段を皆、難なく登って奥の院へ。山寺駅まで戻って昼食。山形名物の板そば。2人前分をそれぞれ分けて食べるというコスト削減策。これはさすが。
 食後は約10分歩いて「芭蕉記念館」へ。時間の関係で見学はせず、山寺駅に戻った。
 ここで山寺について。(山寺観光協会ホームページより抜粋)
“山寺は、正しくは宝珠山立石寺といい、貞観2年(860)清和天皇の勅願によって慈覚大師が開いた、天台宗のお山。正面の大きな建物は、国指定重要文化財の根本中堂である。延文元年(1356)初代山形城主・斯波兼頼が再建した、入母屋造・5間4面の建物で、ブナ材の建築物では日本最古といわれ、天台宗仏教道場の形式がよく保存されている。堂内には、慈覚大師作と伝える木造薬師如来坐像が安置され、伝教大師が比叡山に灯した灯を立石寺に分けたものを、織田信長の焼打で延暦寺を再建したときには逆に立石寺から分けたという、不滅の法灯を拝することができる。”
 芭蕉句碑と清和天皇御宝塔について。
”閑さや岩にしみ入る蝉の声”元禄2年(1689)、おくのほそ道をたどり、今の7月13日に山寺を訪れた松尾芭蕉の句で、門人たちが嘉永6年(1853)にたてた句碑である。奥に見える宝塔は、山寺を勅願寺とした清和天皇の供養塔で、当山では最も古い石塔である。”
 この句で詠まれている蝉の種類は何かという議論がその後盛んにされています。「芭蕉記念館」のホームページによると以下の通りです。
“松尾芭蕉が紀行文『おくのほそ道』の中で詠んだ山寺の句「閑さや岩にしみ入蝉の声」。この句に詠まれたセミは何ゼミだったのか、セミの種類についての論争がありました。昭和2年に、歌人の齋藤茂吉(1882~1953)がアブラゼミと主張したのに対し、評論家にしてドイツ文学者の小宮豊隆(1884~1966)がニイニイゼミであると反論したものです。その後、昭和5年8月初めの調査によって蝉を捕獲したところ、確認されるセミのほとんどはニイニイゼミで、アブラゼミはほんのわずかでした(因みに、芭蕉が山寺を訪れたのは新暦7月13日であるので、調査は時期遅れといえます。)。その結果を知った茂吉は、自説を撤回したのでした。因みに、この自説修正には文学的解釈のとらえ直しも加味されていました。しかし、7月13日頃はヒグラシも鳴くことがあります。芭蕉が聞いたセミの鳴き声が、何ゼミのものであったかは、永遠の謎と言えるでしょう。”
 山寺駅から仙山線で仙台方向に向い、東照宮で下車、仙台東照宮を参拝。ホームページによる説明は次のとおりです。
“東照宮は、徳川家康公を御祭神としてお祭りしている神社です。将軍家によって創建された日光や久能山の東照宮を始め、御三家や各藩主によって全国各地に創建されました。正式名称は東照宮ですが、他の東照宮と区別するために仙台東照宮と呼ばれております。仙台の東照宮は、1654年(承応3)、仙台藩・初代藩主伊達政宗公の世継ぎである2代藩主伊達忠宗公によって創建されました。東照宮の社殿は本殿、唐門、随身門、別当寺仙岳院など15棟以上の社殿を80万人の人手と金2万両を費やし、5年の歳月をかけて造営されました。”
 東照宮を後にして、仙台に戻り、午後3時前着。仙台の繁華街をウォーキング。仙台駅西口に出て、ハピナ名掛丁商店街からスタート。  ここは、仙台藩政時代、「名懸組(なかけぐみ)」の屋敷があったことに由来する名掛丁の名前がついている。1993年に造られたアーケードは、御影石敷きに半透明の天井が美しい造作。老舗の茶舗や蒲鉾店、飲食店とともに、都心でも人気のダイニングやカフェが軒を連ねている。
 続いてクリスロード商店街に入った。平成4年に新しいアーケードの完成とあわせて、“Creative Life In Shopping”の頭文字の組み合わせと、”road”を合わせた造語として名づけられた。クリスロード商店街では東日本大震災の甚大な経験をもとにWi-Fiインターネットにより安否情報の確認やWebサイトでの情報収集等ができるように『無料Wi-fiスポット』の提供を行っている。さらに、マーブルロードおおまち商店街、ぶらんどーむ一番町商店街、一番町四丁目商店街と進んで、定禅寺通へ出た。
 ここは、「杜の都・仙台」を象徴する並木道のひとつであり、同市で開催される都市イベントの会場となることも多い道路。ケヤキの街路樹が、通りの両脇の歩道にそれぞれ1列ずつ、中央分離帯(定禅寺通緑地)に2列の計4列に並んでいる。定禅寺通りを左折し、すぐに国分町通を左折。定禅寺通から広瀬通までは、歓楽街となっていて、両側に飲み屋、クラブ等多数。ここで野田さんは単身赴任時、仕事?を謳歌していたとのこと。
 国分町通を途中左折して、再び名掛丁商店街へ戻り、仙台駅に午後4時着。1時間余りのウォークであった。仙台市街、特に西口側は実ににぎやかで、多くの店、レストラン、ビジネスビル等がひしめき合い、人通りも多かった。仙台は大都会であるとあらためて実感した次第です。仙台駅ではおみやげ購入等で自由に行動。予定通り、16:44 仙台発やまびこ150号で帰路についた。
 帰りの車内も飲み物、おつまみ類はたくさん。ワイン、ビールで再びにぎやかになった。周りに迷惑にならない程度に。
 予定通り18:48東京着。解散。一部の人たちはさらに喫茶、食事へと行ったようです。

感 想

 秋の晴れた2日間、13名の仲間たちとの仙台、山形ツアー。実に楽しく、思い出深いものだった。この日の前後は天気が悪く、ちょうどこの2日間は絶好の日和となり、久々のPOWER44発揮であった。
 作並温泉は、歴史も深く、仙台市街から近い温泉の穴場である。今回は平日だったため、お客さんも少なく静かな雰囲気でよかった。(我々のグループは騒がしかったかもしれません。)観光地化があまりされていないため、温泉を十分に楽しめる旅館だったといえる。野田さんの企画大成功でした。
 今回のツアーはウォーキングもたくさんしようと、2日目の朝は食事前のウォーク、山寺では1,015段の階段を登った。さらに仙台市街を歩き1日で計約12Kmの歩行であった。求めている健康のためにも実にいいツアーであったと思う。
 高齢者にとっての健康のための活動として必要な、適度な運動、十分な栄養、十分な休養(睡眠)、社会性すべてを満足させるようなツアーでした。何といっても、野田さんには企画、準備、実行とたいへんお手数をおかけし、有意義なツアーを終えることができて心からの感謝です。また参加者全員が常に協力的、友好的に過ごすことができたこともよかったです。
 安全に、健康的に、楽しく、幸せな2日間を過ごすことができて、また新しい思い出のひとつとすることができました。ありがとうございました。またこのような機会があることを願って日々、健康に留意し、仕事、家庭での生活に励むことにしましょう。

Report by Y.Kamiizumi