第38回44会ウォーキング教室 in Hawaii (2010年第14回)

日時:2010年12月12日(日)午前5時~
場所:Honolulu(2010 Honolulu Marathonへの参加)
参加者(敬称略、順不同)
10kmの部
  (10名)
清水(昭)、清水(純子)、清水(娘さん)、塚本(弘)、塚本、
丸山、藤江、魚谷、駒井、魚谷さんの友人
42.195kmの部
  (18名)
山本(仁)、山本(雪子)、芳賀、芳賀(のぞみ)、清水(久)、
清水(眞由美)、清水(健司)、桑木、杉本、川東、峯川、三田、
早川、堀口、福嶋、中島、安部、上泉

44会ホノルルマラソンの資料及び写真集

1.総括

 3年前に、「44会でウォーキングを始めよう」という提案から、いつの間にか「Honolulu Marathon」に行こうという冗談半分の話しが飛び出し、それが現実となってしまった。還暦を迎える年、計28名(内44会還暦メンバーは20名)の参加者は全員無事に、安全にマラソンを完走(歩)しました。

 「信じられない」というのが率直な感想です。Dream comes true. です。特に42.195Kmという距離はふしぎな距離で、歩いても、走ってもそう簡単に完走(歩)できる距離ではないのですが、ある程度の健康体でその気になればだれでも完走(歩)できる距離でもあると思います。30Kmなら別に騒ぐ必要もなくほとんどの人が完走(歩)でき、100Kmとなるとかなりの体力、精神力が求められます。ただ60才のおじさん、おばさん(いや、おねえさん)が初めて42.195Kmに挑戦するとなるとそれなりに準備も必要であり、それでも何かが起こり何人かの途中棄権もあり得ると思っていた。最後尾をサポートしていた自分は、Finishラインが見えた時、感激の涙が出てきたのは当然のことだろう。

 44会とは言ってもほんの一部かもしれません。しかし確かに20名の還暦メンバープラス8名が目標を達成したのです。月に一度のウォーキング教室が3年間も続いている。2008年1月に出した提案書では2ヶ月に一度としたが1回目の参加者人数が20名だったのにはおどろき、すぐに月1回の開催となった。1周5Kmの皇居外周路を中心に、箱根の山を登ったこともあり、紅葉の美しい高尾山も歩いた。一高OB強行遠足にも参加したり、鎌倉、江の島、山中湖、小平、築地方面ほかいろいろな地へも出かけた。最近では多摩川沿い31Kmも歩いた。さらに女性陣は月1回の全体のウォーキング以外に自主トレもしていたようである。3年かけて皆で盛り上げ、トレーニングをしてきた賜物である。完走(歩)後の状態も皆元気、筋肉痛もほとんどないとのこと。

 当日の完走パーティーもいつものように元気で盛り上がった。60年間それぞれほとんど違う人生を歩み、多くの苦しみも楽しみもあったと思う。ここにあらためて未知の苦しさに挑戦し、完走(歩)の感動、楽しみを味わえたことは意義あることだと思う。人生の中でいい思い出となると思う。ふしぎな仲間達と力を合わせて達成できたHonolulu Marathon完走(歩)は感動の1日となった。

 マラソンという観点で今回参加のメンバーのようすを少しだけ報告します。ほとんどの人に完走(歩)後の様子を聞いてみた。「42.195Kmという距離は今回1回だけでいい」という人がほとんど。中には記録更新を目指すという人もいた。コメントの中で典型的なものが下記のとおり。

  • 「マラソンは思ったより難しかった。少し甘く見ていた。」
  • 「今までのトレーニングとおりの結果だった。これ以上のタイムを目指すなら今まで以上のトレーニングが必要となり、これ以上無理はできない」
  • 「もう一回参加したらもう少しタイムは短縮できそう」

 マラソン30回完走の経験者としては、前者2個のコメントが正しいと思う。3個目のコメントはまだマラソンの難しさを理解していないかもしれない。

2.日々の記録

12月9日(木)
 成田空港第一ターミナル北ウィング午後5時集合に対して4時半ごろにはほとんどの人が集まっていた。朝からそわそわだったという人がほとんど。出発前の記念写真を撮り、出国審査、搭乗。DL608便。エコノミークラスでも飲物はビール、ワインを含めて無料だった。食事もまずまず。成田出発が30分遅れだったためHonolulu空港にも予定より30分遅れの現地時間朝7時到着。入国審査、通関後JTBのバスでまずは、マラソン受付の会場へ。ゼッケンとチップ(タイム計測用)を受け取り、スポーツ品等販売の会場をそれぞれ歩き回った。ナイキの池田コーチ(女性、典型的なランナー体型で美しかった。年を皆想像していたが不明)による「マラソンセミナー」を聞き12時過ぎた。その後は自由行動とし、ホテルには午後3時以降それぞれチェックイン。

12月10日(金)
 レースまで2日あるが、原則としてグループ統一行事は今夜の決起集会、レース、完走パーティーのみで他はすべて自由行動とした。但し、一応グループ旅行をしているのでそれぞれの行動予定はお互いに連絡し合うことを確認。
 10日の朝は雨。しかもだいぶ強く降っていた。私は、朝ワイキキ海岸をジョギングしようと6時に外に出たが強い雨で断念。ホテル内のフィットネスセンターのトレッドミルで10Kmのランニングで汗を流した。有料12ドル。ホテル内のフィットネスが有料だったのは初めてだった。きょうは、一部のグループでダイヤモンドヘッドに登ろうという計画だったが中止。アラモアナショッピングセンター行きに変更となった。本日着の山本夫妻とショッピングセンターで午後1時に合流した。女性陣はショッピングをたくさん楽しんだ様子。私のグループは「日立の木」のある公園にバスで行った。日立のコマーシャルで見たとおりの景色に感動した。ひとりで島一周バスツアーに行った人もいた。夕食は25名集合して決起集会。シェラトンプリンセスホテルのビュッフェスタイルのレストラン。たくさん食べ、楽しいひと時。きょうがまさに還暦の誕生日という福嶋君のお祝いもした。赤いちゃんちゃんこ代わりの赤いショートパンツのプレゼント。レストラン内ステージでのショー演奏者に福嶋君誕生日祝いをお願いして、レストラン中での祝いとなり盛り上がった。

12月11日(土)
 今日も朝から雨。よって私は6時からまた有料フィットネスでのランニング8Km。しかし7時ごろには雨は止み。晴れ間が出てきた。きのうの予定であったダイヤモンドヘッドに登った。しかし、レース前日のため疲れが残る心配もあり、ふもとから帰る選択をした人もあった。正解だと思う。一部のグループは登頂し、その後バスで海岸線沿いの観光。美しい海、小さな島、そこにかかる虹、青い空、ハワイらしさのようなものを見ることができた。
 レース前日としてパスタ類を食べようと多くが集まった。5時からの夕食でアルコール類はできるだけ控えようと勧めたがほぼいつものとおりとなった。マラソン前日は「カーボローディング」としてパスタ等の炭水化物をたくさん摂ろうという人が多い。運動エネルギーの元のひとつであるグリコーゲンを作る炭水化物を少しでも体にためておこうという趣旨。
 レース当日は朝1時半から2時には起床しなければならないため皆早く眠る。

12月12日(日)
 ついにHonolulu Marathon当日となった。夢、目標を実現させる日である。朝から晴れていた。それぞれ朝食を済ませ、バスでホテルを3時出発。スタート地点に3時半着。トイレ、ストレッチ、記念写真等であっという間にスタート時間の5時になった。きれいな花火が上がり、スタート。我々のグループはスタートライン通過まで約17分かかった。まわりのペースにつられてだいぶ速いウォークまたはジョギングでのスタート。これは少し心配だった。42.195Kmのウォーキングの旅が始まった。18人それぞれの旅である。皆、今までの自分のトレーニング内容をよく知っているため各自の力に合わせたペースを維持していった。私は最後尾をサポート。最後尾がだれか、途中わからなくなったが、25Kmぐらいからは確認できた。折り返して反対側を走るランナーとすれ違うのも楽しかった。我々のグループのトップは予定通り、清水(久)君の息子さん。その後は女性陣が続いたのにはまたおどろいた。長い行程にはいろいろなことがあったがとにかくゴールが見えるところまで来てまさかの全員完走(歩)が確実になった。Finishゲートが見えてからの数百メートルの間、応援客は少なかったものの最後まで応援してくれる人もいて、感動、感激の涙となった次第である。8時間と少しのタイム。目標の8時間に限りなく近いタイムであり目標達成と言える完走(歩)である。
 完走Tシャツ、メダルを受け取り、全員が合流し、JTBのサービスである暖かいうどんを食べた。まだ信じられないという気持ちであったが、全員完走(歩)は夢ではなく、現実であった。
 ホテルに歩いて帰り、シャワーを浴びてさっぱり。6時からの完走パーティー会場の日本食レストラン「ちばけん」に移動。25名が集合。三田さんの現地の友人夫妻も合流して計27名の楽しいパーティーとなった。全員が完走(歩)の感想をスピーチ。感動、感激、感謝のことばがたくさんあった。44会全員の協力、力が結集した結果であった。ふしぎな仲間達によるまたまた快挙である。

12月13日(月)
 マラソン翌日も朝から晴れていい天気。皆疲れはほとんど感じないようす。自由行動としてそれぞれまた出かけていった。女性陣は水着でワイキキ海岸へ行ったとの情報。私は男子5名でバスによる島一周(実際は2/3周)ツアーに行った。ひとりでビーチツアーにいった人もいた。今回のツアーで唯一最大の後悔は、44会女子の水着姿を見ることができなかったことである。さぞかし派手な水着、美しい体型、脚線美だっただろうと想像をめぐらせた。

12月14日(火)
 もう帰国の日。朝3時半に部屋に荷物の引き取りに来て目が覚めた。6時にバスにてホテル出発。Honolulu空港で、チェックイン、手荷物検査後各自自由に最後のショッピング等。出発約1時間遅れのDL607便にて帰国の途へ。私の席は仲間4人が並んでいたため、食事前後に乾杯、ワイン3杯。時差の関係で12月14日はあっという間に終わってしまった。

12月15日(水)
 成田着午後1時過ぎ。入国審査、通関後到着ロビーで解散式。全員が無事安全に帰国できたことが何よりである。記念撮影をし、余韻を残しながらの解散。

3.感想

 3年越しの計画が実行され、夢を実現、目標を達成できた。POWER44は健在であった。ふしぎな仲間達によるおもしろい経験だった。客観的に見ると「なぜ高校の同窓生がこんなにまとまるの?」「60才になってなぜこんなに元気なの?」と自らも思うし、まわりからの声も聞く。JTBハワイの社長さんに「修学旅行のように楽しんでいる」と言わしめた力は何なのか。

 とにかく健康、しかも心身共の。元気なおじさん、おばさんを目指す人が増えているのだろう。マラソンレースでも50代、60代の年齢の参加者が一番多い。高齢化社会がどんどんと進むと、社会は高齢者を負担に思う。社会、国にはそれなりの援助をして欲しいが、一方高齢者が社会にとっての負担だと思われないように、自らの努力も必要なのかもしれない。

 還暦を迎えた44会メンバー。元気とは言っても60才を過ぎたらいろいろな体の故障も出てくるだろう。最近、坐骨神経痛の人が44会メンバーの中にたくさんいることがわかった。あまり無理はできないが各自が十分留意しながらまだまだ44会健康志向は続くのだろう。

 楽しく充実した、意義あるHonolulu Tourでした。ふしぎな仲間達に感謝します。ありがとうございました。

上泉義朗