第16回山梨ウォーキング(2013年第8回)

日 時:2013年11月9日(土)11:00~
行 程:
 中央線甲斐大和駅~竜門峡入口~遊歩道~栖雲寺(昼食)~日川渓谷レジャーセンター~竜門峡入口駐車場~景徳院~中央線甲斐大和駅
(全行程約6km)
参加者:
(12名)
跡部和、小宮山千雪、保坂剛、古屋寿隆、山本仁一、
塚田栄雄、玄間とも枝、飯野俊雄、深澤克己、内田正雄、
中島直樹、上泉義朗

 山梨のウォーキングとしては久しぶりのいい天気。計12名が参加。東京から2名参加させていただきました。

 甲斐大和駅に9時50分集合。車4台に分乗して竜門峡入口近くの駐車場へ行った。準備を整え、10:13出発。さっそく登り坂でいい準備運動となった。竜門峡は通称日川渓谷と言われる。日川沿いに竜門峡遊歩道が整備されていて、川の近くを歩くことができる。自然の川の流れは水量も多く美しい。天気もよく紅葉もきれい。
 少しひんやりした空気の中を歩くのは実に気持ちいい。自然の中を歩くことができる幸せ感である。30分ほど歩いて小休止。女性ふたりからチョコとくるみ黒糖の差し入れをいただいた。7分ほどの休憩で出発。
 天鼓林(てんこりん)という道を歩く。歩くと太鼓の音の様な響きになることからそう呼ばれているとのこと。岩や固い土壌の中に木の根が入り込んで隙間ができ、その隙間に柔らかい腐葉土が詰まっているのでこのような音が出るようです。
 紅葉と川の流れを見ながら少しずつ急になった登り。栖雲寺(せいうんじ)手前が特にきつい登り坂だった。11:25栖雲寺着。石庭等を見学後、お寺の中にあった休憩所で昼食。ここは無人ではあるが、畳の部屋で、台所、テーブル、トイレがあり、快適な場所だった。それぞれ持参のおにぎり等の昼食。愛妻弁当持参の人も。女性ふたりからの差し入れは、りんご、柿、ゆでた落花生。おいしくいただきました。

 ここで、栖雲寺(せいうんじ)について少しだけ。
 臨済宗建長寺派の寺院で山号を天目山という。貞和4年(1348年)に創建され、開基は甲斐国主の武田信満公。武田家の菩提寺として大いに繁栄した。勝頼公の敗北後は、織田家の兵火で殿堂を焼失したが、徳川家康が寺領を寄付した為に旧観を取り戻した。県指定史跡の石庭は当時多くの修行僧が坐禅を組んだ禅庭。多くの巨岩からなる豪快な自然の造形である。また、栖雲寺は蕎麦切り発祥の地であり、碑があった。仏像他国指定重要文化財、山梨県指定有形文化財、甲州市指定文化財が多数ある。

 12:20栖雲寺を出発。帰りは一般道を下った。渓谷とは違い楽な道で、日川渓谷レジャーセンターを通過してあっという間に、12:58竜門峡入口駐車場にもどった。一般道でもまわりの紅葉はすべて美しかった。
 駐車場から車で景徳院に向かった。武田家滅亡の寺として知られているお寺で境内は広く、立派な造りのお寺であった。ここも紅葉。
 景徳院は、曹洞宗寺院で、山号は天童山、本尊は釈迦如来。武田勝頼(武田信玄の第4子)は織田信長・徳川家康連合軍の侵攻により甲府から移転した本拠であった新府城(韮崎市)を捨て家臣の郡内領主小山田信茂を頼り落ちのびたが、信茂の謀反に遭い天目山へと敗走した。天正10年(1583年)3月、勝頼(37)は北条夫人(19)、長男の信勝(16)、主従50名とともにここ景徳院で自害し、武田氏は滅亡した。武田家終焉の地と言われるゆえんである。北条夫人の侍女16人も、日川に身を投げて殉死したとのこと。武田氏滅亡の後、徳川家康が入国し、勝頼、家臣一同を弔うため田野寺を建立した。それが現在の景徳院である。
 記念写真を撮り、帰路へ。甲斐大和駅に13:45着。本日の予定はここで終了となり解散。東京のふたりは電車で東京方面へ。山梨組は甲府で反省会とのこと。うらやましい。秋のいい天気のすがすがしい空気の中、気持ちのいいウォーキングでした。

上泉義朗

⇒写真はこちらにもあります。(塚田君HP)

武田勝頼公前で(甲斐大和駅)

日川渓谷を歩く

東京から上泉君も参加(右端)

小宮山さん(左)玄間さん

来てよかった!(飯野君)

小休止・チョコをどうぞ!

イエーイ最高だぜ(跡部君)!!!!

ヨイショと小宮山さん

階段を軽々登る弦間さん

ドッコイショと内田君

悲鳴を上げる深沢君

何気もともなく登る上泉君

思わずビックリの中島君

天鼓林と言って足で踏むと響いた

不気味な色のキノコ

平戸の石門をくぐると……

皆が待っていてくれた

木賊(とくさ)の石割けやき

紅葉の山々

天目山栖雲寺本堂で

栖雲寺の石庭

景徳院境内で

景徳院の紅葉

Photo by J.Yamamoto