第6回合同ウォーキング

第78回東京44ウォーキング(2014年第3回)

第19回山梨ウォーキング(2014年第2回)

日時:2014年3月29日(土)
場所:身延山久遠寺
参加者(敬称略、順不同):
1.ウォーキングの部
  (20名)
川島芳子、望月恵子、杉本恭子、飯野俊雄、堀口修、
峯川文江、野田進、古屋寿隆、保坂剛、磯貝達男、
古屋美代、深澤克己、小宮山千雪、芳賀直行、芳賀のぞみ、
上泉義朗、中島直樹、山本仁一、山本雪子、藤江賢治
2.グルメの部
  (20-2+2名)
小林篤、有賀不二男

内容

1.ウォーキングの部

 甲府駅前10時集合。あいにく都内でJRの事故があり、東京からの特急が遅れ、10時45分ごろ車4台に分乗して計20名のウォーキングに出発。身延町立総合文化会館の駐車場に11時50分着。まずはそれぞれ持参の昼食。
 12時10分ウォーキングスタート。久遠寺を目指し、総門経由三門へ。ここから本堂までは何と287段のきついのぼり階段。女坂を登る組と階段を登る組に分かれた。この階段は一段がかなり高く、登りはきつく、息切れ、汗びっしょりとなった。階段を登り切って久遠寺本堂前に13時10分着。
 菩提梯と呼ばれるこの階段はなぜ287段か?山本君からの説明。この菩提梯の石段を287段登り切れば涅槃に達するという意味から、「南無妙法蓮華経」の7字になぞらえ、7区画に分けられているとのこと。また皆で考えたもうひとつの理由は「南無妙法蓮華経」(7文字)を41回唱えると287段を登ることができるという話でした。
 身延山久遠寺はご存知の通り、日蓮宗の総本山。文永11年(1274年)、甲斐国波木井(はきい)郷の地頭南部六郎実長(波木井実長)が、佐渡での流刑を終えて鎌倉に戻った日蓮を招き西谷の地に草庵を構え、法華経の読誦・広宣流布及び弟子信徒の教化育成、さらには日本に迫る蒙古軍の退散、国土安穏を祈念した。1274年5月17日が日蓮聖人身延入山の日、同年6月17日が身延山開闢(かいびゃく)の日である。日蓮は弘安5年(1282年)9月に湯治療養のため常陸(加倉井)の温泉と小湊の両親の墓参りに向かうため身延山を下ったが、途中、信徒であった武蔵国の池上宗仲邸(現在の東京都大田区本行寺)にて病状が悪化したため逗留し、6人の弟子「六老僧」を定めて、同地において同年10月13日に死去した。「いづくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」との日蓮の遺言に従い、遺骨は身延山に祀られた。
 本堂前の樹齢400年のしだれ桜はまだ少し早かったが貫禄を感じさせる桜の花でした。過去10年の開花情報データによると、満開の日付けは3月23日から4月9日までの開きがある。今年は寒波の影響で開花が遅いという予想通り、まだ四分咲きでした。
 本堂からロープウェイに乗って身延山山頂へ14時15分着。1153mの山頂はまだ雪が少し残っていた。北側展望台からの眺めは、雪の鳳凰三山、白根三山が見えた。またちょうど眼下は2月の大雪で陸の孤島となり全国的にも有名になった早川町でした。
 次は、身延山頂にある奥之院思親閣へ。ここは思親大孝の霊場。日蓮聖人は身延在山の9年の間、故郷のことを思い出されては、西谷のご草庵より50丁の道なき道を登られ、ここ思親閣から遙かに房州小湊のご両親、師の道善房を追慕されました。
 ここで、古屋(美)さんが、突然思親閣にある石碑を見つけた。高校1年の遠足でここに来た際撮ったという写真を持参していてその写真の石碑でした。古屋さんと峯川さんを含めてかわいい女生徒数人の写真。何と47年ぶりに同じ場所で記念撮影。
 帰りは、ロープウェイで戻る組と歩いて下る組に分かれた。歩く組は、14時35分出発。雪の残っている急な下り坂はゆっくりと慎重に、その後はだんだんとペースは上がった。案内書では距離約5Kmで1時間半から2時間かかるコース。途中三光堂で10分の休憩を含めても、44回メンバーは65分で下り終えた。再び久遠寺本堂前に全員が集まり、休憩後16時帰路に。途中おみやげ屋さんで、買い物。文化会館の駐車場に16時40分着。本日のウォーキングはここで終了。本日の歩行距離計16Km。16時55分車で甲府へ向かった。

2.グルメの部

 本日のグルメの部は、甲府駅近くの「若鮨」。計20名のにぎやかな飲み会。ビールで乾杯後はそれぞれ日本酒、焼酎他。おつまみは恒例のお造り盛り合わせとスパイシーHOTサラダ、やみつきキューリで始まり、さらに大きなにぎり寿司等たくさん。つい飲み過ぎ、食べ過ぎである。山梨と東京の合同ウォーキングで飲み会もいっしょにできてよかったです。

感想

 もう本年も3か月が過ぎてしまい、暖かい春である。長年の懸案であった身延山のしだれ桜行きが実現できてよかったです。ただ、今年はまだ少し早かったようである。
 ここ身延山は高校1年の研修旅行で来たところで、それ以来初めてという人も多かった。16歳のころのなつかしい場所ということになる。しかしその当時のことを正確に覚えていることはなく、287段の階段を登ったことも、ロープウェイに乗ったのか歩いて登ったのかも覚えていないのが実情でした。自分は宿坊のお風呂におおぜいでいっしょに入ったことを覚えています。それにしても高校時代の思い出話を60歳過ぎてから同じ高校の同級生とするのは本当におもしろいものである。
 上記のようにあまりよく覚えていないこともあるが、話していると少しずつ思い出すこともある。飲み会で話題になったクラブ活動の話はいろいろと楽しかったです。放送部、テニス部、ハンドボール部の話題でした。

上泉義朗

どういう訳か難しい顔の二人

昼食中失礼!

食後の一服

相変わらず元気な峯川さん

イエ~ィ

少々疲れ気味の深澤君

身延町波木井発電所を背景に

久遠寺手前で

久遠寺山門

しだれ桜前で

しだれ桜アップ

身延山山頂からかすかに富士山も見えた

山頂北西側には南アルプス(白根三山)も見えた

身延山研修以来48年振りに訪れた喜びの顔

昭和41年当時の甲府一高マドンナたち

思親閣前で

下山道にはかなりの残雪があった

回りにはミツマタの花が満開

江戸城築いた太田道灌の墓もあった

甲府駅近くの若鮨で反省会

小林篤君も来てくれた

東京から参加のメンバー

少々疲れたが楽しかった

有賀不二男君(右端)とも48年振りに再会

Photo by J.Yamamoto

身延山門 2014.3.29

身延山門 1966.5.26

菩提梯 - 全287段の石段

48年前と同じ場所

1年12組の四天王

Photo by N.Haga