第80回44ウォーキング(2014年第5回)

日時:2014年5月24日(土)13:30~
場所:鎌倉古道 西国分寺から永山
参加者(敬称略、順不同):
1.ウォーキングの部
  (9名)
峯川文江、杉本恭子、飯野俊雄、磯貝達男、福嶋幸市、
早川美保子、芳賀直行、芳賀のぞみ、上泉義朗
2.グルメの部
  (9名)

事前学習資料(Word)

内容

1.ウォーキングの部

 午後1時半西国分寺駅集合。9名が集まった。1時40分出発。今回から4回に分けて鎌倉街道(古道)を歩こうという試み。1回あたり10Km前後の距離のためそれほど無理のないものと考えている。いい陽気で、まだ暑さもなく、梅雨の前であり、ウォーキング日和であった。
 鎌倉街道について、インターネットからのいくつかの情報をまとめると以下のようになる。
 鎌倉街道は、中世において鎌倉から関東諸国を通り信濃や越後、そして陸奥などの地方を結ぶ交通路で、いわゆる鎌倉幕府の御家人が「いざ、鎌倉」と馳せ参じた道であり、鎌倉時代から戦国時代までの関東武士の栄枯衰退の歴史を物語る道である。
 鎌倉街道とはいってもひとつの道ではなく、広い関東地方だけでも現在までの研究等でわかっていることは 主要幹線としての三本の道、「上道」「中道」「下道」と呼ばれている道が存在したということである。その中で44会としては、最も知られているという「上道」の中の恋ヶ窪(西国分寺)から鎌倉までの道を4回に分けて歩くことにした。
 なぜ鎌倉街道上道が最も知られた道筋なのか。それは文献的史料やこの道が通過する地元の街道伝承が多く残り、道筋周辺の古戦場などの史跡や街道遺構の多いことが挙げられる。また新田義貞による鎌倉幕府滅亡の時の進撃路であったことが大きな理由かと思う。世に知られた分倍河原の古戦場はこの道のルート上にある。「いざ鎌倉」と幕府の御家人達が馳せ参じた道が鎌倉幕府滅亡の道となったことは皮肉なことである。さらにこの道は武蔵国の府中を通過している。中世の関東において武蔵府中は政治・経済・文化・軍略上の要であったと思われる。また府中を通過するということは鎌倉時代以前にも重要幹線路がこの道と同じルートを北関東へ向かっていたと考えられる。そして鎌倉時代以降も南北朝・室町・戦国時代の関東における古戦場の多くはこの「上道」上にある。このように現在はほとんど忘れさられてしまっている「上道」は少なくとも中世までは関東において東海道と同じ位に重要な幹線路であり天下の大道であったのである。

 西国分寺駅を出て、住宅地の中の道は案内地図通りにはいかず、方向のみを考慮しながら進んだ。まず泉町の「東山道武蔵路跡」を見学。古代の道路遺構で、上野国(現在の群馬県)から南下して武蔵国府に至る往還路(東山道の支路)。国指定史跡として保存されている。
 武蔵野線沿いを南下し、途中西に方向を変えて、東芝府中工場の脇に出た。さらに南下し、途中午後3時、20号線手前の美咲町2丁目の小さな公園で休憩。おかき、チョコ、サツマイモの甘い菓子、栗のお菓子等の差し入れをいただいた。さらに近くにあったコンビニで福嶋君がガリガリ君アイスキャンディを買って来ての差し入れ。30分ほどの楽しい休憩となった。
 20号線を渡って、浅間神社、八雲神社を通ってさらに南下。分倍河原駅近くを通過、京王線中河原駅に午後4時着。ここで駅改札内のトイレを借りて小休止。ここからゴールまではあと4Kmほどになった。多摩川関戸橋を渡って、鎌倉街道旧道に入り、「関戸古戦場跡」と熊野神社にある「霞ノ関南木戸棚跡」を見学。
 「関戸古戦場跡」は、鎌倉を目指した新田義貞軍が1333(元弘3)年に最後の得宗北条高時(1303-1333;第14代執権)の弟の左近大夫将監入道恵性(北条泰家;鎌倉幕府滅亡後に北条氏残党を率いる)と分倍河原と多摩川を挟んだ対岸の関戸で激突した所。ここで多くの鎌倉北条軍の武士達が命を落とした。
 「霞ノ関南木戸棚跡」は、鎌倉時代の建暦3年(建保元年・1213)に鎌倉街道に設けられた関の棚跡。和田合戦に関連した豪族横山党の滅亡を受け、横山党の残党に備えて設置された軍事的な関所。
 京王線永山駅前にちょうど午後5時着。本日のウォーキングはここで終了。本日の歩行距離計13Km。久しぶりによく歩いたという感じでいつもより皆疲れた様子だったが、ゴール後のさわやかさはいつものとおりで気持ちよかった。

2.グルメの部

 永山駅近辺は、食事処はたくさんあるが、居酒屋は意外と少なく、当初探しておいた「おっけい」という店は満席で入れず、月並みの「笑笑」へ。午後5時20分スタート。
 生ビールで乾杯後次々とつまみ類を注文。たくさんの食べ物であった。歩いた後だからこそのビールのおいしさ、食欲であろう。ちなみに、主なつまみ類は以下のとおり。
  シーザーサラダ、チキン南蛮、オニオンフライ、タタキきゅうり梅肉、なす浅漬け、あぶりタコポン酢、豚肩ロース焼き、玉子焼き、いか一夜干し、鉄板たこ焼き、大根サラダ、子持ちししゃも。
 飲み物は、以下のとおり。
  生ビール、日本酒(笹の川)、ハイボール、ウーロン茶、カシスオレンジ、ジントニック。
 仕上げのデザートは以下のとおり。
  ティラミス、クッキー&アイスクリーム、ストロベリーアイス、そば。
 お通しの枝豆と席料が有料(9名計3,501円)であることも当然かもしれないが、おどろいた。
 本日もたくさんの話題で時間もすぐに過ぎる。まずはこのように楽しく歩くことができ、飲んで食べて話しができることはある程度の健康を維持していないとできないことをあらためて確認した。では約20年後の85歳でこのメンバーはどうなっているのだろうかという話しになった。想像もできないことだが、普通であれば何人かはまだ元気に歩いて、たくさん食べて、飲んでお話しをしているかもしれない。
 次の話題は、最近当たり前に使われているインターネット、E-mailの便利さと弊害、問題等について。特にひとつのコミュニケーション手段としてのE-mailは誤解を生じさせることがあることの問題。コミュニケーションの基本はFace to Face、顔を突き合わせた話しであることはだれもが認めていた。娘さんへのメールの返事がない事を悩んでいるF君の話しも盛り上がった。
 さらに話題は移り、少子高齢化問題、それに伴う年金制度の崩壊現象。派遣社員という働き方の制度の問題等、国のやることへの不信は最大になった。財政赤字の拡大、日本経済の低迷、中国資本の流入等話しは尽きない雰囲気の中、8時半ごろお開きとすることになった。今回は話題をメモ書きしておいたので覚えていたが、いつもこれらの話題は話した後、すぐに忘れてしまう。

感想

 今回のウォーキングは、何と80回目であった。記念すべき日である。2008年に始まり、今年はもう7年目である。57歳で始まり、60歳の時は、ホノルルマラソンに参加。65歳でホノルルをもう一度という計画もある。さらに70歳では東京オリンピック・パラリンピック開催の年であり、ボランティアとして参加しようという提案もある。すべて健康を維持していてこそ可能になることであり、さらなる健康を追及していきたいと思う。そうは言っても、高齢による老化現象はからだのいろいろなところに出ている人もいると思う。健康を維持するための努力は今まで以上に必要になると思う。ウォーキングのようなあまり無理のない運動、いわゆる有酸素運動は多くの有効性がある。筋トレによる筋肉の保持も重要である。足腰、腹筋、背筋等の筋肉力はどんどんと低下していく。ほんのわずかな筋トレで少なくとも維持できれば健康維持のための大きな力となる。さらにバランスの取れた栄養摂取、腹八分目の食事量。十分な休養、これは肉体的な休養プラス精神的にいかにリラックスしてストレスを持たないようにするかが大切であると思う。元気なおばさん、おじさんを目指してこのウォーキング教室はまだまだ続く。 上泉義朗

鎌倉古道 遺構1

鎌倉古道 遺構2

Photo by N.Haga