第8回 合同ウォーキング

第93回 44ウォーキング(2015年第5回)

第31回 山梨ウォーキング(2015年第5回)

日 時:2015年5月30日(土)9:00~
行 程:富士山吉田口登山道馬返し~スバルライン5合目
参加者(50音順):
1.ウォーキングの部
  (21名)
跡部和、飯野俊雄、磯貝達男、内田正雄、上泉義朗、
川島芳子、小林篤、志村明俊、志村史俊、杉本恭子、
野田進、芳賀直行、芳賀のぞみ、橋本洋一、古屋寿隆、
保坂剛、峯川文江、望月恵子、山田明仁、山本仁一、
山本雪子
2.グルメの部
  (8名)
磯貝、上泉、杉本、野田、芳賀(×2)、橋本、峯川

内 容

1.ウォーキングの部

 富士急行線富士山駅に午前9時集合で山梨、東京から計20名が集まった。さらに篤君がバイクでスバルライン五合目に行き、そこから下って来て四合目と五合目の間で合流した。天気はきのう雨、あすの予報も雨、きょうは快晴の絶好の日和。何とラッキーなことか。山梨の誰か(古屋寿隆君?)の普段の行ないがいいため、との説明(本人から)だったが。

 9時50分馬返し(標高1,450m)をスタート。「富士山山頂まで10.4Km、512分」という標識を見て、山頂は遠いと思った。きょうの目標はとりあえず五合目。皆快調な歩きで、すぐに一合目(1,520m)着。「鈴原天照大神社」の看板があった。ここで奉られていたのが大日如来で、富士山の神様、浅間大菩薩の本地仏とされている。ここで安置されていた大日如来像は現在は富士吉田市の上吉田の御師のお宅に安置されているとのこと。

 登山道には、雪解水や雨水をうまく流すしくみができていた。春から初夏にかけて雪が残っている間は、日中の日差しで解けた雪が毎日小川を作っているようなものとのこと。少しでも被害を食い止めようと登山道の各所に排水溝や浸透桝が設置されている。

 二合目(1,700m)でも小休止。汗をだいぶかき、水分補給もした。見晴らしのいい開けた場所では、眼下に河口湖、さらに先は南アルプスの山々が美しく見えた。二合目には富士御室(小室)浅間神社が祀られている。昭和47年にこちらにあった本殿は冨士河口湖町勝山にある里宮に移築され、現在は拝殿のみが残っている。昔はこちらを「上浅間」、麓の北口本宮冨士浅間神社を「下浅間」と呼んだとのこと。

 三合目(1,840m)は、昔、早朝にふもとから登山を始めて、ちょうど昼食をとることが多かったため、「中食堂(ちゅうじきどう)」もしくは「三軒茶屋」とも呼ばれていたとのこと。三合目を過ぎると勾配が少し急になったが、まだ皆元気で四合目(2,010m)着。

 四合目には、大黒小屋という茶屋が一軒と、大黒天をお祀りしていたお堂があったが、現在は大黒天像は里に下ろされている。大黒茶屋は、ふもとの上吉田の御師大黒屋所有の茶屋だった。残りの一合がかなりきついとの説明を聞き、覚悟をして目標の五合目に向かった。

 今までは15分から20分で各一合を上ってきたが、四合目からは約15分で着いた所は四合五勺。ここには、御座石浅間の社と井上小屋跡が横に並んでいる。このあたりで20人のグループの先頭と後尾は少し離れたようだ。四合五勺から五合目の佐藤小屋まであと20分とのことで、昼12時すぎになった。

 佐藤小屋の下まで来て山頂への標識には「富士山山頂まで6.1Km、387分」と表示されていた。馬返しから距離にして4.3Km、時間は2時間40分かかった。標識の時間よりだいぶ遅いことになる。標識の時間は休憩時間を含んでいないのだろう。昼食休憩を目指して登り、12時半前後で皆、佐藤小屋の五合目(2,230m)着。汗をかなりかいたが、止まってからは空気がやはり冷たく、寒さを感ずるほどになった。汗はすぐに引いた。皆それぞれ持参の昼食弁当、たくさんの差し入れをいただいた。各種漬物類、お菓子、飴、チョコレート等。

 五合目からは山頂方向へ続く登山道も見え、雪も少し残っていた。今回の吉田ルートは、7月24日に開催される「富士登山競争」のコースでもある。きょうはそのためのトレーニングとして走っているランナーがたくさんいた。山岳レースはかなり厳しい。思わずいっしょに走りたくなったが、自分はかなり走力が落ちていて不可。山頂コースは21Km、標高差約3,000m、五合目コースは15Km、標高差1,480mとのこと。自分も今年3月に地元伊勢原市の大山登山マラソンを走ったが、ここは距離9Km、標高差650mで1時間15分かかった。富士登山競争五合目コースの制限時間が3時間30分である。やはり自分には不可だ。

 午後1時半、目標を高めて六合目に向かうことになった。途中経ヶ岳がある。この名称は、日蓮上人が自書による「法華経」を埋経した場所であることに因むとのこと。ここには八角堂(常唱殿)と、日蓮上人が説法を行っている姿の銅像が立っている(この場所はなぜか「六角堂」と呼ばれている)。常唱殿は意外に新しく昭和28年に建てられた。日蓮上人像の台座にある「立正安国」とは、国を安んずる(安泰にする)ためには、まずは正法、つまり正しい仏法を立てることが必要であるとの意味。

 約1時間で六合目(2,390m)着。ここの標識は「富士山山頂まで5.2Km、355分」。馬返しと山頂のちょうど中間の距離ということになる。但し登りの勾配はここからますます厳しくなるためここまでの距離とはまったく違うきつさがあるのだろう。いい天気で山頂方向も見ることができた。風はだいぶ冷たくなっていた。ここからが本格的な富士山の自然、寒さが出てくるのだろう。

 六合目の「富士山安全指導センター」の脇を通り、帰路へ。午後2時半過ぎにスバルライン五合目の駐車場着。本日のウォーキング、いや今回は明確に登山、を終了。全員無事でした。歩行距離は計約12Km。いつもと違って上り坂のみ。五合目駐車場から午後2時50分のバスに乗り富士急行線河口湖駅に。ここで山梨組と東京組はお別れでした。

2.グルメの部

 東京組は、午後4時発急行ホリデー快速富士山2号新宿行に乗車。出発までの10分でビール、つまみを購入。出発と同時に乾杯。新宿まで直通のためゆっくり反省会(飲み会)ができると皆ご満悦だった。

 しかし、ビールがあっという間になくなってしまった。大月駅の売店でビールを買うことを考えたが、停車時間は1分で無理だろう。車掌さんに、「大月駅の売店のお姉さんに連絡してビールを用意しておいていただけませんか」とどう考えても無理なお願いをした。「それはちょっとできません」と笑顔で対応してくれた車掌さんはできた方だった。

 大月駅に着く間際に、駅前の居酒屋「魚民」と「庄や」の看板が目に入った。直通電車はあきらめて途中下車、ここで反省会(飲み会)を再開することに即決。次の場所としては八王子と新宿が案として上がったが橋本君が猿橋で下りるため、その前の大月ということになった次第。

 5時から約2時間半。今回もよく飲み、話した。まずはお通しで出たソラマメが3個の人と4個の人がいた。苦情を言うべきかどうか話し合い、4個を減らされるかもしれないため何も言わないことにした。そのソラマメを皮ごと食べた人が3人、皮を残した人が5人。この差は何なのか。話題は今回も大きく飛んだりはねたりで記録を取らない限り覚えることができない状態。

 いくつかを挙げると、犬、猫、人間の基本的な性格について。犬はかなり人間に気を使っているとのこと、猫はマイペース型のようだ。人間は千差万別。次は、中学、高校に入学した時のお祝いに何をもらったか。なぜか共通していたのが中学で万年筆、高校で腕時計だった。次は博物館、美術館の話題。年間パスを持って回っているという野田君をはじめ女子だけでなく男子でも博物館、美術館は興味大であるという話。

 大月19:54の快速東京行に乗車。これも直通電車でラッキーでした。猿橋駅で橋本君が下車。途中相模湖駅に停車中大きな地震。八王子で2人が下車、本日はここまで。

感 想

 山梨と東京の合同ウォーキングは昨年の3月の身延山以来だった。2013年の6月の合同ウォーキングはやはり富士山で、お中道めぐりだった。その日がちょうど世界文化遺産に登録が決まった日だった。

 その後富士山を訪れる観光客はどんどん増えているとのこと。7月からは登山シーズンに入り5合目から山頂を目指す登山者の数はすごいらしい。本日登った吉田口からのルートは昔の道で今は少ないらしいが、五合目まで車で行って山頂を目指す人を少しでも振り分けるためにもこの吉田口からのルートを整備し、宣伝しているとのこと。世界文化遺産登録前に比較してこのルートの登山者は3倍に増えたようである(古屋寿君のお話)。

 今回のウォーキングは期せずして登山であった。それぞれの体力に応じて無理せず、ペースを守り、全員が目的地に到着できてよかったです。65歳になる仲間としては、皆元気である。ウォーキング、山登りは適度な運動効果として高齢者には最適だと思う。これからも健康を追求して、ウォーキング活動を皆で継続していきましょう。

上泉義朗

⇒写真はこちら(OneDrive)にもあります。

まずは缶ビールで乾杯、その1

缶ビールで乾杯、その2

次は地ビールで乾杯、その1

地ビールで乾杯、その2

飲み足らず、大月の”庄や”へ

大入りで喜ぶ若い店員さん

Photo by N.Haga

Photo by A.Kobayashi