内 容
1. ウォーキングの部
午後1時半、皇居桜田門に集合。9名が集まった。秋の晴れた日となり絶好のウォーキング日和。日比谷公園の花壇には蝶々が飛んでいました。午後1時40分スタート。いつものように二重橋前で記念撮影。
皇居外周を歩き、半蔵門で合唱組の女子ふたりといったん分かれた。いい天気の中、ランナーもいつもより多く、ランニングブームはまだ続いている。
小休止後午後2時25分男子7名のウォーキングは、三宅坂を再スタート。青山通り(国道246号線)を渋谷方面に向かった。最高裁判所、ホテルニューオータニを右に、衆議院議長公邸を左手に見て赤坂見附へ。
しばらく歩くと、豊川稲荷があった。急きょ参拝することにした。お稲荷様は通常神社であり、44会のメンバーは皆、神社式の二礼二拍手一礼での参拝。しかし、境内に入ると、お寺のようなお経をあげていた。はたしてここは神社かお寺か。またこの境内には七福神すべてがあり、ここだけで七福神巡りができるようです。後日調べたところ下記のようにここはお寺でした。参拝のしかたが違っていました。
豊川稲荷東京別院について
豐川稲荷は正式名を「宗教法人 豐川閣妙嚴寺(とよかわかくみょうごんじ)」と称し山号を圓福山(えんぷくざん)とする曹洞宗(そうとうしゅう)の寺院です。
一般的に「稲荷」と呼ばれる場合は「狐を祀った神社」を想像される方が多いと思われますが、当寺でお祀りしておりますのは鎮守・豊川ダ枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)です。
豊川ダ枳尼眞天とは、昔、順徳天皇第三皇太子(じゅんとくてんのうだいさんこうたいし)である寒巖禅師(かんがんぎいん)が感得された、霊験あらたかな仏法守護の善神です。
豊川ダ枳尼眞天が稲穂を荷い、白い狐に跨っておられることから、いつしか「豐川稲荷」が通称として広まり、現在に至っております。
当別院は江戸時代、大岡越前守忠相公(おおおかえちぜんのかみただすけこ)が日常信仰されていた豊川稲荷のご分霊をお祀りしています。明治20年に赤坂一ツ木の大岡邸から現在地に移転遷座し、愛知県豊川閣の直轄の別院となり今日に至ったものです。
豊川稲荷を信仰した方としては、古くは今川義元、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、九鬼嘉隆、渡辺崋山など武将達から信仰を集めさらに江戸時代には、庶民の間で商売繁盛、家内安全、福徳開運の神として全国に信仰が広まりました。
さらに青山通りを進み、赤坂御用地、神宮外苑入り口を過ぎて表参道へ。この辺りから人が急に増え、表参道は原宿まですごい人混み。おのぼりさんのような44会メンバーはとまどいながら歩いた。
明治神宮に午後4時着。明治神宮内に入り、人はさらに多い。当日は大安の土曜日であり、結婚式も何組か行われていた。自分たちの結婚式の話、神前か教会か、紋付羽織かタキシードかというようなありきたりの話題だった。式を挙げているカップルについてもいろいろな詮索。いずれにしても結婚をすることはすばらしいことです。
原宿駅前に戻り、午後4時45分着。本日のウォークはここで終了。歩行距離計12Km。
2. グルメの部
原宿から渋谷に電車で移動し、渋谷駅宮益坂下の「金の蔵」。5時過ぎに男子6名でビールでの乾杯でスタート。5時半過ぎに合唱練習後の女子4名が合流。ここでいつものように一段とにぎやかになった。
話題は盛りだくさん。ひとつだけ、今後のウォーキング計画について。今年はあと2回。11月は小林正家君のMondaynight Jazz Orchestraコンサートの日のため皇居外周1周後、新橋へ。12月は忘年会を兼ねたグルメの部を秋葉原「食福」で行う予定で、やはり皇居外周後秋葉原へ歩くという計画です。また来年は、尾瀬の水芭蕉ツアーに行きたいという強い希望がありました。ぜひ計画し、実現したいです。
7時半終了。よく飲み、食べて、話をし2時間余りの楽しいひと時でした。
感 想
8月、9月と雨の中のウォーキングだっただけに、今回の秋晴れの中のウォーキングは気分がよかった。距離も少し伸ばして12Km。少し速足のウォークは健康には最適である。
今回も9名と10名以下が続いている。皆さんお忙しいのだと思います。今後とも末永く健康を求めてたくさんの44会の仲間といっしょにウォーキングを続けていきたいと思います。
ウォーキングに関してご質問等がありましたらぜひお寄せください。ウォーキングは、特に高齢者にとって、楽しく、健康を維持向上できる最適な運動です。皆さんぜひ一緒に歩きましょう。
Report by Y.Kamiizumi
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