第130回 44ウォーキング(2018年第5回)
兼 第30回 44会文化部会

○日 時 : 2018年5月26日(土)13:30~

○行 程 : JR目白駅~学習院大学~護国寺~印刷博物館~水道橋

○参加者 :
 1. ウォーキングの部 10名
       飯野俊雄、磯貝達男、上泉義朗、川東厚子、杉本恭子、
       野田進、早川明、藤江賢治、三田富貴子、峯川文江
 2. グルメの部 10+1名
       芳賀直行  @水道橋「中国料理祥龍房」


Photo by Y.Kamiizumi ...more


Photo by N.Haga

内 容

1. ウォーキングの部

 午後1時半JR目白駅集合。10名が集まった。1時35分スタート。まずは駅前の学習院大学へ。守衛所でのチェックがあるかと思ったが何もなく入場。学内でちょうど当日まで開催の「平成30年度学習院大学史料館春季特別展『宮中和歌の世界 -- うたのいろどり --』」が開催されているのを見つけたためそこに直行。この展覧会では、第一章に「勅撰集から古今伝授」、第二章では「歌会始の世界」、第三章は「学習院と歌」をテーマとし、古代から継承されてきた和歌(うた)の伝統を、宮中ゆかりの作品を通じて多面的に紹介されていた。華族学校を前身とし、公家や宮中の文化に縁の深い学習院大に集められた和歌に関する貴重な資料の展示でした。学内を少し歩き、野球の試合を横目に見ながら正門を出た。
 次は鬼子母神へ。平成28年7月には国指定重要文化財となった鬼子母神は正式名称を威光山法明寺鬼子母神堂といい、安産・子育(こやす)の神様として広く信仰の対象となっているが、もともとの来歴には深い云われがある。その昔、鬼子母神はインドで訶梨帝母(カリテイモ)とよばれ、王舎城(オウシャジョウ)の夜叉神の娘で、嫁して多くの子供を産んだ。しかしその性質は暴虐この上なく、近隣の幼児をとって食べるので、人々から恐れ憎まれた。お釈迦様は、その過ちから帝母を救うことを考えられ、その末の子を隠してしまった。その時の帝母の嘆き悲しむ様は限りなく、お釈迦様は、「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」と戒めた。そこで帝母ははじめて今までの過ちを悟り、お釈迦様に帰依し、その後安産・子育の神となることを誓い、人々に尊崇されるようになったとされている。なお当山の鬼子母神像は、鬼形ではなく、羽衣・櫻洛をつけ、吉祥果を持ち幼児を抱いた菩薩形の美しいお姿をしているので、特に角(つの)のつかない鬼の字を用い「雑司ケ谷鬼子母神」と尊称している。境内には創業1781年という駄菓子屋さんがあり、今でも開いている。
 次は護国寺を目指して、途中日本女子大学に寄った。構内散策を予定していたが、守衛所にて「大学に用事のない人は入場できません」とのことで通過した。護国寺にて参拝。創建は天和元年2月(1681)、五代将軍徳川綱吉公が、その生母、桂昌院の発願により、上野国(群馬県)碓氷八幡宮の別当、大聖護国寺の亮賢僧正を招き開山。幕府所属の高田薬園の地を賜い、堂宇を建立。桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観世音菩薩像を本尊とし、号を神齢山悉地院護国寺と称し、寺領三百石を賜ったことに始まる。震災、戦災と二度の大災害に襲われた東京の都心にありながら、江戸の面影を今に伝え、親しまれている。護国寺境内で小休止。ハイチュウとココアシガレットという昔懐かしいたばこのお菓子の差し入れをいただいた。アジサイの花を見つけて記念写真。
 護国寺を出てお茶の水女子大学経由で印刷博物館へ向かう。お茶の水女子大学には時間の都合で門の前を通過するのみ。この近辺には中高大学校がたくさんある。大学だけでも、お茶の水女子大他、跡見学園女子大、筑波大東京キャンパス。さらに文京区立の「教育の森公園」がある。この公園、今は改修工事のため閉園中だが、旧東京教育大学(現在の筑波大学)の跡地に、昭和61年に開園した。緑ゆたかで、区民の憩いの場となっているとともに、防災機能を持っている。
 ラストは印刷博物館。予定通り午後3時40分着。館内の印刷機や印刷技術の説明展示をそれぞれ見学後、午後4時からの本日の目的であるVR映像による「マチュピチュ―太陽の聖地―」を観た。ペルーの標高2,400メートルの断崖に広がる空中都市「マチュピチュ遺跡」を、バーチャルリアリティ映像で精緻に再現したこの作品は、遺跡を上空から俯瞰したり、空中を飛び廻るといった実際には体験することができない視点の映像であった。現在は空撮が禁止されているマチュピチュ遺跡。段々畑や階段が連なる複雑な地形を自在な視点で、実際に行かなくても十分なほど楽しむことができた。マチュピチュについて、さらにインターネットで調べた内容は以下の通り。
「尖った絶壁の山々がそびえるウルバンバ渓谷の山間、標高2,280mの頂上にあるマチュピチュ。マチュピチュとは老いた峰を意味します。山裾からはその存在を確認できないことから“空中都市”とも呼ばれるこの遺跡は、スペイン人から逃れるために、あるいは復讐の作戦を練るために、インカの人々が作った秘密都市だったともいわれている。マチュピチュの総面積は5平方km、その約半分の斜面には段々畑が広がり、西の市街区は神殿や宮殿、居住区などに分かれ、周囲は城壁で固められている。16世紀半ば、インカの人々は高度な文明が栄えたマチュピチュを残し、さらに奥地へと消えてしまう。その後400年以上にわたって人の目に触れることなく、1911年にアメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガムが初めて見た時には、草に覆われた廃虚となっていた。マチュピチュにまつわる多くの謎は、未だに解明されていない。」
 印刷博物館を出て、さらに歩く。本日のグルメの部を目指して水道橋へ。午後4時45分水道橋「中国料理祥龍房」が本日のゴール。本日の歩行距離は9Km。

2.グルメの部

 4時50分ビールで乾杯。11名のにぎやかな飲み会。いつものように、よく飲み、よく食べ、たくさんのおしゃべりが続く。話題はきょうも盛りだくさんでしたが、今回の報告は1週間後になってしまい、ほとんど覚えていません。主なものは、今年9月のウォーキング・文化部会温泉ツアーについて、まだ参加したことのない多くの44会メンバーのこと、2020年東京オリンピック・パラリンピックへのボランティア参加について。現時点では個人ごとの応募とのことだが、もし44会有志でグループとして参加できたらいいね、という話題。東京都にコネのある藤江さんに取り計らっていただきたいと思う。6時半過ぎに終了し、今回は2次会にも行った。ドイツのビールを飲んだことは覚えている。

感 想

 67歳になった44会メンバー。元気にウォーキングができることは幸せなのだろう。老化現象は皆それぞれあると思うし、その話題は常に出てくる。高齢者にとってからだに悪いことの代表は、冷えとストレスといわれている。私は、最近冬になるとかなりの厚着をする。若い頃は“伊達の薄着”とまで言われたほど薄着をしていたが今は全く違う。また入浴は必ず浴槽につかりからだを十分暖める。以前はシャワーのみが多かったが、これも変わった。ストレスは仕事、家庭、その他いつになっても多少はあるものである。老化したからだには、これは特に悪いようである。若い時以上に、ストレスを発散、解消、忘れる手段を考えておくべきであると思う。出来る限り長く健康を維持できるように何をすべきか、皆さんといっしょに考え、行動していきたいと思う。

Report by Y.Kamiizumi