内容
1.ウォーキングの部
午後1時半藤沢駅集合。1時45分出発。西国分寺をスタートした鎌倉古道(上の道)のウォーキングも今回で4回目の最終回となり、鎌倉を目指す。
今週は急に気温が低くなり、雨模様の日が続いた。きょうも朝のうちは小雨が降っていた。しかし、午後からは曇り、晴れの天気で暑さも厳しくなく、ウォーキングにはいい条件となった。今回もインターネット情報の地図により、鎌倉古道を求めて歩いた。標識等は全くないため、古道の地図のみが頼りとなる。
藤沢駅から30分ほど歩いて古道に入った。今は住宅街となっているが、山を住宅地化したような地形で、そこはかっては武士等が行き来する道だったのだろう。坂道を登り下り、途中、西の坂、S字坂と呼ばれる地点を通過した。源氏山公園隣りの葛原岡神社で休憩。鎌倉の縁結び神社と言われており、若い女性も多かった。
源氏山公園を過ぎるともう鎌倉駅は近い。険しい山道を下り、化粧坂切通を通った後「平景清の土牢跡」があった。平家の家人平景清は、平姓で呼ばれているが、藤原秀郷の子孫と言われている。壇ノ浦の合戦後に逃亡して、のちに源頼朝を暗殺しようとしたと伝えられている。この土牢跡は、源頼朝を暗殺しようとして捕らえられた景清が閉じこめられた所と伝えられている。また景清は、「悪七兵衛」と呼ばれた勇猛な武将で、屋島の合戦では、三保谷十郎の兜の錣(しころ)を引きちぎったという逸話が残されている。
その後、横須賀線に出て右折、「阿仏尼の墓」があった。英勝寺から50メートルほどのところにある、「十六夜日記」の著者阿仏尼の墓と伝わる供養塔。阿仏尼は、藤原定家の子為家の妻で、冷泉為相の母。相続争いでの子の正当性を訴えるため鎌倉にやってきた。
いよいよ鶴岡八幡宮に到着。"いざ鎌倉"である。八幡宮内に入り、あの大銀杏の所に行った。この大銀杏は2010年3月10日強風により倒れ、幹が切断され、隣に移植されていた。元の残った幹からも、移植された樹からも新芽が出ていることが確認された。よかったです。さらに歩いて、鎌倉駅に午後4時35分着。本日のゴールとした。歩行距離12Km。
2.グルメの部
鎌倉駅前の「わん」にて午後5時スタート。生ビールの乾杯でいつもと同様にのどを潤し、うまい!。
9名がぴったり入る席で、寄り添うように触れ合いを感じながら今回もたくさん食べ、飲み、話をした。
ビールの後の飲み物は珍しく角のハイボール。店の術中にはまったもの。
つまみ類は意外と種類も多く、楽しめた。お通しはひとり100円で野菜サラダがおかわり自由とのことでたくさんの野菜もいただけた。
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