特別企画「みちのくの自然と歴史をたずねて Vol.2」

~~~ 上杉家ゆかりの地をたずねて ~~~

第133回東京44ウォーキング(2018年第8回)兼 第34回44会文化部会

○期 日:2018年9月12日(水)~13日(木)
○行 先:山形県南陽市赤湯温泉~高畠町~米沢市
○宿泊先:赤湯温泉「上杉の御湯 御殿守
○参加者【16名】:
     磯貝達男、上泉義朗、川島芳子、川東厚子、小林篤、
     杉本恭子、田伏純子、塚本重美、野田進、萩原能成、
     早川明、藤江賢治、堀口修、三田富貴子、峯川文江、
     山田和美

山形県南陽市・赤湯駅(山形新幹線、奥羽本線、山形鉄道フラワー長井線)

Photo by Y.Kamiizumi ...more ...and more

赤湯・烏帽子山八幡宮

Photo by A.Kobayashi ...more

赤湯温泉「上杉の御湯 御殿守」

Photo by O.Horiguchi ...more

高畠から米沢の車中にて

ワインを2Lペットボトルで飲む!(復路・つばさ154号)

Photo by J.Tabuse

○レポート・その1(第133回東京44ウォーキング)

(9月12日)
 午前9時50分東京駅集合の予定に、9時05分から9時40分までで全員集合。早い人はいつもいる。まずは問題なくスタート。
 10:00東京発つばさ133号にて出発。席に着いてすぐに、飲み物。今回の旅行は、“飲み会”のイメージをあまり出さないようにと幹事の間では決めていた。よって車内での酒類は各自が買ってきたわずかなものになるだろうと予想していた。しかし、全く違う。なぜか次から次へと缶ビール等が回ってくる。主に面倒見のいい萩原さんが用意してくれたもの。皆喜んで飲んでしまう。
 12:21赤湯温泉着。あっという間ではあったが、皆もうすっかりいい気分。この2時間ですでに最高潮に盛り上がった状態。これで今回の旅行は終わりでもいいというくらい、楽しい時間を過ごしてしまった。
 駅にはすでに旅館からお迎えのマイクロバスが待っていた。記念写真の後、バスで旅館に移動。荷物を置いて、昼食場所のそば店に移動。午後1時昼食。赤湯は「ワインの町・ラーメンの町」といわれていて、赤湯地区でラーメン店、そば店合わせて18店あるとのこと。
 今回は野田さんお勧めのそば店「糸柳」。そばのみでなく、ラーメンもあり「鳥中華」というラーメンが売りとのこと。店の説明として「鳥中華 \700 鶏肉とネギ、キュウリといった一風変わった具材を、胡椒と一緒にいただく冷たい鳥中華。ひんやりとしたスープが鶏ガラと鰹節の旨味を引き立たせます。そば屋が作る絶品鳥中華をご堪能ください。」天ぷらも分け合ったが、その中にあった「おかわかめ」の天ぷらがおいしかった。
 昼食後は、早速ウォーキング。秋の晴れた日であり、すがすがしい空気を味わいながら近くにある烏帽子山公園内の散策。初めに烏帽子山八幡宮へ。ここは一高先輩の志村様のお知り合いとのことで、事前に峯川さん、野田さんに紹介をしていただいており、宮司様はじめ神社の方々に歓待をしていただいた。本堂でのお祓いも特別にしていただき、お部屋でお茶をいただき、おみやげに地元の酒「米鶴本醸造」をいただいた。
 烏帽子山八幡宮は寛治7年(1093)創建。源義家の弟である加茂義綱が祠を建立した事が始まりとされている。温泉街から気軽に立ち寄れる縁結びや恋愛成就、進学合格成就で有名な神社とのこと。継ぎ目がない1本の石から切り出された石造大鳥居が有名。市指定文化財になっている。
 八幡宮を出て、さらに公園内をウォーク。午後3時40分、公園を出て旅館に向かった。途中夜の懇談会用飲み物、スウィーツ等のショッピング。一部の人たちはその間、足湯を楽しんでいた。
 午後4時15分旅館にチェックイン。旅館は上杉家ゆかりの「上杉の御湯御殿守」、4人づつ4部屋に分かれた。まずは温泉を十二分に楽しんだ。
 この旅館は上杉家の別荘として温泉を守り380余年。12のお風呂があり、内ひとつは貸し切り用、5つと6つのお風呂を男女を入れ替えている。よって夜と朝入れば両方楽しむことが出来る。一番高いところに、大きな石をくりぬいたという「龍神の湯」があった。ここが温泉として一番気持ちよかった。

 午後6時夕食。個室で、四角に並んだテーブルで、いつもと違って距離があった。朝から飲んで、食べて、夕食でもあまりおなかはすいていない。料理は盛りだくさん。「お品書き」は「山の幸 宴膳」となっていた。
 食前酒(実に甘いデラウェア酒)から始まり、前菜、刺身、煮物、鍋物(地元置賜の豚)、台の物(山形牛石焼き)、凌ぎ(蕎麦)、揚物、汁(山形名物芋煮)、デザートまで。食事のご飯はパスし、おにぎりにして各部屋に届けていただけることになった。揚物以降はもうほとんどの人がおなかいっぱい。せっかくの芋煮も残した人も多い。でも一流の味を堪能できた。萩原さんによると、特に煮物は最高の味で、一流と言えるとのことでした。
 8時少し前に終了し、各部屋に戻った。幹事部屋ではその後の懇談会の準備を始めた。お菓子類、おつまみ類、飲み物と大量にある。午後8時40分懇談会開始。いつものように話題は尽きずに次から次へと移っていく。笑いが絶えない懇談会。途中からは、ひとりひとり「今回の旅行の反省」と題して、お話しをする時間とした。それぞれ貴重な内容ばかりであった。共通して、今回の旅行を含めて44会の仲間に感謝という話題がほとんどであった。約2時間で終了となった。各部屋に戻り、それぞれの時間。自分の部屋では、就寝の準備をし、11時過ぎには4人とも眠った様である。

(9月13日)
 早い人は3時半ごろには起きたとのこと。そのころにはすでに雨が降っていたようである。自分は6時半からの朝のウォーキングに行くため5時45分起床。しかし残念ながら雨が強く降っていてウォーキングは中止とし、朝食を7時半からとした。朝食前は皆、朝の温泉に行った。
 7時30分朝食。朝からたっぷりの食事。栄養十分である。朝食後の館内散策、コーヒー等を楽しんだ。今回の宿には新潟からという小学校6年生の修学旅行児童がいっしょだった。朝、顔を合わせた時、皆元気よく挨拶を返してくれたことはよかった。
 9時30分旅館出発。出かけるころには雨はすっかり上がり、晴れていた。暑くなったようである。玄関前で記念写真を撮り、旅館のバスで赤湯温泉駅へ。全員元気に、異常なく旅行2日目が始まった。
 10:04赤湯温泉発の電車で、高畠に10:12着。駅前で記念写真を撮り、10時25分「浜田広介記念館」へ向かってウォーキング。距離2Kmで、いつものペースで行くと25分かと思っていたが、おしゃべりをしながら景色も楽しんで、30分かかった。次の予定もあり、この記念館では約30分の時間。館内見学の後、11時から15分間のビデオ、ひろすけ童話のひとつ「泣いた赤おに」を観た。小学校の道徳の授業でも使われているとのことで感動の話しだった。
 浜田広介は、山形県の童話作家で「日本のアンデルセン」とも呼ばれている。日本の児童文学の先駆け的存在で、作家人生50余年の間に、約1000編もの童話や童謡を世に送り出した。代表作品として「泣いた赤おに」「りゅうの目のなみだ」「よぶこどり」「むくどりの夢」などがある。浜田広介記念館は、その業績を広く永く伝えたいと平成元年に広介の故郷山形県高畠町に開館した。駅周辺に、赤おに、青おにの像がいくつかあった。この作品だったのだ。
 11時25分浜田広介記念館出発。高畠駅に戻り、「高畠ワイナリー」に向かった。事前調査不足で、少し時間がかかり約40分歩いて12時05分ワイナリー着。ここでもあまり時間がなく、ワイナリーショップでの各種ワインの試飲、おみやげの時間となった。高畠ワイナリーは自然豊かな豊穣の地、山形県高畠町に1990年に創設された。春は草花の息吹、夏はさくらんぼ、秋はぶどうの収穫、冬は一面が白銀の世界と四季折々、身の回りに自然の恵みを感じるワイナリー。
 12時30分ワイナリー出発、高畠駅に戻り、12:52高畠発の電車で13:04米沢着。昼食は旅館で作っていただいたおにぎり2個(JR のツアーに含まれている)。電車内で食べた人もいるが、米沢駅から次に向かう上杉神社への途中の最上川で河原に降り、橋の下の日陰にすわっておにぎり。涼しい風を感ずることが出来た。
 米沢駅から約2.5Kmを35分ほど歩いて午後2時40分上杉神社着。上杉神社は、明治9年、上杉謙信、上杉鷹山を祭神として、米沢城本丸跡に建立された。明治35年に別格官幣社(べっかくかんぺいしゃ=明治政府が定めた神社の位置づけ、分類を表す。国に尽力した人物を祀る神社)に指定され、このとき祭神は謙信のみとなり、鷹山は摂社に祀られ松岬神社となった。大正8年に起こった米沢大火で類焼、ほとんどの建物が焼け落ちてしまったが、その後国からの援助金や米沢市民の労働奉仕などにより、大正12年、現在の神社が完成したとのこと。
 神社参拝後は隣にある「伝国の杜(でんこくのもり)米沢市上杉博物館」へ。午後3時から4時過ぎまでの時間は自由行動となった。「米沢市上杉博物館」には、数千に及ぶ上杉氏ゆかりの貴重な品々や国宝が収蔵されている。
 「伝国の杜(でんこくのもり)」という名称は、かつての米沢藩主「上杉鷹山(ようざん)」が、藩主の心得として残した「伝国之辞(でんこくのじ)」に由来している。戦国武将として名をはせた初代「上杉謙信」とは対照的に、鷹山は「優秀な政治家」だった。弱冠十七歳で米沢藩の藩主となった鷹山(当時の名前は「治憲(はるのり)」)は、傾いた藩の財政を立て直し、産業を発展させることで人々を豊かにし、次世代のための教育にも熱心な「思想も実行力もある」人物。「伝国之辞」自体は「藩主(政治家)に対しての言葉」だが、「人々のために残し、伝え、豊かにする」という鷹山の精神を受け継ぎ、「伝国の杜」という名称となったとのこと。
 帰りはバスで、神社前16:20発。3名はウォーキングで帰り米沢駅までの2.5Kmを25分。駅でおみやげ等のショッピングの後、17:41米沢発のつばさ154号で帰路へ。帰りの車内も再びお酒。ビール、ワイン、日本酒とたっぷりある。いつものように、よく飲み、食べて、おしゃべりが尽きない。19:48東京着までは、旅の終わりのあのむなしさ、さびしさを皆感じながらあっという間の時間であった。全員無事安全に1泊2日の旅の完了となった。

〇感 想

 44会16名による温泉、文化、ウォーキングの旅。参加者として多いのか、少ないのか、ちょうどいい人数なのか。昨年は13名だったが、今年は昨年の参加者13名プラス3名という参加者の内容。この意味するところは?
 44会は、同じ高校を卒業した仲間であることは確かだと思うが、高校時代には全く知らなかった人がほとんど。なのに40年たった今、なぜもこのように楽しい仲間として集まり、有意義な時間を過ごすことが出来るのか。「ふしぎな仲間たち」である。
 67歳、68歳になり高齢化、老化現象は否めない年齢となった。いつまで健康を維持することが出来るのか、この先はわからない。高齢者にとって健康を維持するためには、十分な栄養、十分な休養、適度な運動、社会的なつき合いが必要と言われている。
 今回の旅行の内容を振り返ると、これら4要素すべてが含まれている。旅館での栄養十分かつおいしい食事、温泉でゆったりとした休養、ウォーキングによる有酸素運動、44会の仲間とのたくさんの会話である。もっともっと長い間、健康を維持して生きていきたいと思う。平均寿命までまだ20年もある。100歳までは30数年もある。健康であれば十分楽しめる人生であると思う。さらなる健康を求めて、44会のふしぎな仲間たちといろいろな活動を継続していきたいと思う次第である。
 今回の旅行も幹事野田さんの絶大なるリードの基、全員一致団結の旅であった。感謝するとともに、今後とも同様の協力の力を皆で発揮していくことを期待します。

Report by Y.Kamiizumi


○レポート・その2(第34回文化部会)

 今月の文化部会はウォーキングと合同で例年(まだ2回目)この時期に企画して泊まりでゆっくりやろうとのことで、今回は「上杉家ゆかりの地を訪ねて」と銘打ち、山形県赤湯温泉「上杉の御湯 御殿守」に宿泊してその周辺の文化施設を巡る旅とした。
 この旅館は、私が18年前に東北支店長をしていた頃に、出張で東北各地を回り仕事で立ち寄った旅館で、もう一度ゆっくり来たいと思っていた宿だった。
 上杉謙信は武田信玄と因縁の深い武将で、後には姻戚関係になったという事や、山形県の名産が山梨県とよく似ておりワイン、サクランボ、葡萄、梨など比較が出来るので興味を持った。
 今回は前回参加の13名に加えて新たに3名が参加して16名の定員一杯の多人数の旅行となった。つばさ133号に乗り込み、食べ飲み歓談して赤湯駅に到着。昼食何処の「糸柳」にてそばとてんぷらで乾杯。当初は「赤湯ラーメン龍上海」に寄って名物からみそラーメンを食べる予定だったが、残念ながら水曜日が定休日で急遽変更したが、「糸柳」の冷たい肉そばとてんぷら(+ビール、熱燗)も満足のいくものだった。
 腹を満たして近くの「烏帽子山八幡宮」へ参拝。実はフロイデの合唱練習の時、この旅行の話をしてこの神社に行くと言ったら、志村団長が宮司さんを知っているとのことで紹介をして貰っていて、訪問すると全員神前に挙げてもらい御祓いをして貰う幸運に恵まれた。
 ここは寛治7年(1093)清原武衡が乱を起し、源義家が鎮定した際、弟の義綱が祠を建て勝運を祈念したのが起源という由緒ある神社で、境内にある烏帽子石に因んで名付けられた。参道にある石の鳥居は継ぎ目なしの石造りとしては日本一の大きさで注連縄は重さ約300kgとのこと。烏帽子山八幡宮周辺を散策後、旅館「御殿守」にチェックインして、館内の鎧・太刀なども鑑賞した。

 翌日は、電車で高畠駅へ行き、日本のアンデルセンと言われ”泣いた赤おに”で有名な「浜田広介記念館」を訪ねた。”まほろばの緑道”と田園風景が素晴らしかった。
 次に高畠駅に近い?「高畠ワイナリー」に行きワインを試飲。甘い味のワインが多く山梨のワインとは一線を画すと思った。再び電車に乗り米沢駅へ行き「上杉神社」に向かうことに。
 旅館で貰った焼きおにぎりを食べる場所を探して小林君が活躍。皆を先導して最上川の相生橋の下の日陰で食べてからようやく上杉神社に到着。由緒の表示などを見ていたら、年配の男性に話しかけられ、その方も山梨出身で言葉が懐かしいので声をかけたとの事。思いがけない出会いがあった。
 上杉神社は上杉謙信の急死の後、次代の上杉景勝がここに移封され中興の祖の上杉鷹山も祀られている。
 神社の隣の「伝国の杜・米沢市上杉博物館」に入ると、まず立派な能楽堂があり空気浮上式でステージに移動するとのことでビックリして、職場の宝生能楽堂にも応用できないかなど仕事のことを考えてしまった。館内には歴史展示や鷹山公のビデオなどがあり、体験コーナーの火縄銃のシミュレーションで全部命中させた萩原君の意外な能力に感心した。
 米沢駅までの帰路は疲れてバスを使いウォーキングの趣旨に反してしまった(磯貝君、上泉君、早川君の3名はウォーキング)。帰りの新幹線車中では又元気になり塚本さんの2Lペットボトルのワインラッパ飲みなど最後まで酒と話題が尽きない反省会?となり、いつの間にか東京駅に着き、余韻を残したまま解散となった。お疲れ様でした。

Report by S.Noda

 ⇒ (´∀`*)ウフフ! (Extra Report)